嘉信読書会




『嘉信』読書会の紹介

 会は正式には『矢内原忠雄勉強会』と称する。
 故大濱亮一氏の提唱で始められた会は、当初数年間、昭和八
 年に始められた矢内原忠雄の家庭集会の会員から、当時の事
 情を聞き書きして「歴史の記録」に留めておく事を目的とし
 ていた。(内容非公開)

 それがほぼ一巡した所で勉強会は、矢内原の東大追放直後の
 昭和十二年末から敗戦に至る時代の『嘉信』からこれを学ん
 でいる。彼の信仰が、世俗との緊張関係の中で最も純化し、
 内的発展を遂げた時代の軌跡の記録でもある。
 「勉強会」は隔月土曜日の午後開かれ、故清永昭次氏を中心
 に盛時は十名を数えたが、今は会員の大多数を天に送り、少
 人数が孤塁を守っている。

 
全集七巻を隔月七年三十回で終え、目下「戦後版」に進み、矢内原の戦後体制への尽力の中で、悔い改める事なき精神、日本の将来への洞察を学びつつある。この期間は満州事変に始まり敗戦に至る、十五年戦争と称される、日本が軍事主導の全体主義に覆われた時代であった。

キリスト者と同時に社会科学者であった矢内原は当時の社会、権力との緊張関係の極限状況の中に在って、「個人の良心」と共に、学問によって培われた「社会的信念」とが互いに緊張関係を保ちながら、その「思想」を練り潔め発展させていった。絶対神が支配する歴史の弁証法的発展過程=「神の経綸」、は、「個人、民族の悔い改め、これを拒むものに対する神の審判を経た、砕かれた魂への神の一方的赦しによる個人と人類の救い、その結果としての恒久平和=「神の国」の実現である。

矢内原の主張と活動は一般に広く流布しては居なかったが、彼が権力に対して毅然と戦いおおせた姿が戦後明らかになるにつれ、体制への服従を余儀なくされた人々、とりわけ知識階級に驚愕の眼差しで迎えられ、悔悟の念をも呼び覚まさせた。内村研究が盛んな中、本格的な「思想家矢内原」研究の出現を願っている。
その神話は彼を東大総長という教育界の頂点にまで押し上げ、自ら日本を神の下に再生させる事に駆り立てる事になる。 彼の真の信仰と教育をこの国に根付かせる為のたゆまざる努力にも拘らず、この国の民は罪を悔い改める事も無く、再び滅びの道を歩み始める姿に接する事に帰着する。その点、彼の立ち位置は「戦後民主主義」を担った近代主義者とも一線を画している。

内村鑑三に比べて矢内原研究は乏しい。キリスト者、社会科学者を越えて、思想家矢内原の研究に勤しんでいる小集団による勉強会である。

妹尾陽三 

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