『内村鑑三研究』誌
第1号から最新号(第51号)までの目次をベースにした、タイトル・執筆者データベースです。
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号 | 発行年月 | タイトル | 執筆者 | |
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1 | 第 1号 | 1973年12月 | 内村鑑三の信仰について―発刊に寄せて | 石原兵永 |
2 | 第 1号 | 1973年12月 | 内村研究の現代的意義 | 関根正雄 |
3 | 第 1号 | 1973年12月 | 内村鑑三における神把握について―日本思想史の問題として | 大内三郎 |
4 | 第 1号 | 1973年12月 | 内村研究の現状と展望 | 中沢洽樹 |
5 | 第 1号 | 1973年12月 | 内村鑑三とニューイングランド | 蛭沼寿雄 |
6 | 第 1号 | 1973年12月 | 内村の個人主義―東京独立雑誌の《精神》 | 澁谷 浩 |
7 | 第 1号 | 1973年12月 | 贖罪と再臨―晩年の内村における神学的思考 | 泉 治典 |
8 | 第 1号 | 1973年12月 | アマストだより(1) | 千葉 眞 |
9 | 第 1号 | 1973年12月 | 内村の歴史学ノートとモース教授について | 田村光三 |
10 | 第 1号 | 1973年12月 | 内村鑑三筆記・モース教授「歴史講義」(1) | 片山 亘(訳) |
11 | 第 2号 | 1974年06月 | 内村鑑三の「天然」観 | 川喜多愛郎 |
12 | 第 2号 | 1974年06月 | 内村鑑三とその弟・達三郎 | 生地竹郎 |
13 | 第 2号 | 1974年06月 | 角筈時代の内村の集会論 | 澁谷 浩 |
14 | 第 2号 | 1974年06月 | 外国人による内村研究(1) | 蛭沼寿雄 |
15 | 第 2号 | 1974年06月 | 外国語内村文献 | 中沢洽樹(編) |
16 | 第 2号 | 1974年06月 | 『余は如何にして基督教徒となりし乎』 | 編集部 |
17 | 第 2号 | 1974年06月 | アマストだより(2) | 千葉 眞 |
18 | 第 2号 | 1974年06月 | 内村鑑三筆記・モース教授「歴史講義」(2) | 片山 亘(訳) |
19 | 第 3号 | 1974年12月 | 内村・塚本の無教会論(1) | 泉 治典 |
20 | 第 3号 | 1974年12月 | 内村鑑三の文学観 | 伊東一夫 |
21 | 第 3号 | 1974年12月 | 小国主義と内村鑑三 | 高橋正幸 |
22 | 第 3号 | 1974年12月 | 『内村鑑三研究文献目録』のことなど | 品川 力 |
23 | 第 3号 | 1974年12月 | 内村鑑三演説「基督教信者変信の理由」 | 石原兵永(解説) |
24 | 第 3号 | 1974年12月 | 若き内村の手―シーリー総長およびエマソン教授宛 | 中沢洽樹(訳) |
25 | 第 3号 | 1974年12月 | 内村鑑三筆記・モース教授「歴史講義」(3) | 片山 亘(訳) |
26 | 第 4号 | 1975年06月 | 内村・塚本の無教会論(2) | 泉 治典 |
27 | 第 4号 | 1975年06月 | 北越学館事件と内村鑑三 | 斎藤 昭 |
28 | 第 4号 | 1975年06月 | 内村鑑三と志賀重昂 | 鈴木範久 |
29 | 第 4号 | 1975年06月 | 外国人による内村研究(2) | 蛭沼寿雄 |
30 | 第 4号 | 1975年06月 | 『基督信徒の慰』『求安録』 | 編集部 |
31 | 第 4号 | 1975年06月 | 内村鑑三著英文「やまとだましいの道徳的特質」 | 中野節子(訳) |
32 | 第 4号 | 1975年06月 | 「内村鑑三とその弟・達三郎」余聞 | 宮城 定 |
33 | 第 5号 | 1975年12月 | 朝鮮問題と内村鑑三 | 佐藤全弘 |
34 | 第 5号 | 1975年12月 | 内村における選択の原理 | 澁谷 浩 |
35 | 第 5号 | 1975年12月 | 京都時代の内村 | 室田泰一 |
36 | 第 5号 | 1975年12月 | 外国人による内村研究(3) | 蛭沼寿雄 |
37 | 第 5号 | 1975年12月 | 『後世への最大遺物』 | 編集部 |
38 | 第 5号 | 1975年12月 | 人類最初の平和会議 | 鈴木俊郎 |
39 | 第 5号 | 1975年12月 | アマスト便り | 田村光三 |
40 | 第 5号 | 1975年12月 | シーリー・信仰告白 | 澁谷 浩(訳) |
41 | 第 5号 | 1975年12月 | 内村鑑三筆記モース教授「歴史講義」(4) | 片山 亘(訳) |
42 | 第 6号 | 1976年06月 | 内村鑑三の「平民」論理とその社会的基盤 | 三浦永光 |
43 | 第 6号 | 1976年06月 | 事実の信仰(上) | 原島 正 |
44 | 第 6号 | 1976年06月 | 京都時代の内村(つづき) | 室田泰一 |
45 | 第 6号 | 1976年06月 | 鈴木範久著『内村鑑三とその時代―志賀重昂との比較』 | 定形日佐雄 |
46 | 第 6号 | 1976年06月 | 内村の師シーリーの人と思想(1) | 矢沢英一(訳) 矢野恭弘(訳) |
47 | 第 6号 | 1976年06月 | シーリー博士をしのぶ | 矢沢英一(訳) |
48 | 第 6号 | 1976年06月 | ジュリアス・シーリー総長時代 | 矢野恭弘(訳) |
49 | 第 6号 | 1976年06月 | 内村鑑三筆記・モース教授「歴史講義」(5) | 片山 亘(訳) |
50 | 第 6号 | 1976年06月 | 内村鑑三「香のなき国之を補ふの必要あり」 | 山上 弘 |
51 | 第 7号 | 1976年12月 | 「仰瞻」のキリスト論―覚え書 | 中沢洽樹 |
52 | 第 7号 | 1976年12月 | 関東大震災前後の「日々の生涯」より | 高橋昌郎 |
53 | 第 7号 | 1976年12月 | 奥山俊一編『黎明の星・奥山吉治』 | 高木謙次 |
54 | 第 7号 | 1976年12月 | 斉藤 茂・横山三直編『井口喜源治』 | 矢沢英一 |
55 | 第 7号 | 1976年12月 | 諏訪熊太郎著『信仰一人旅』 | 高木謙次 |
56 | 第 7号 | 1976年12月 | 外国人による内村研究(4)一ジャン・ハウズ氏を囲んで | 編集部 |
57 | 第 7号 | 1976年12月 | 内村の師シーリーの人と思想(2) | 泉 治典(訳) |
58 | 第 7号 | 1976年12月 | 哲学者としてのシーリー | 泉 治典(訳) |
59 | 第 7号 | 1976年12月 | ジュリアス・ホーレイ・シーリー | 泉 治典(訳) |
60 | 第 7号 | 1976年12月 | モース教授「モーセの課題と教育」 | 児玉佳與子(訳) |
61 | 第 7号 | 1976年12月 | 『聖書之研究』とハーバーの The Old Testament Student | 田村光三 |
62 | 第 8号 | 1977年04月 | 内村鑑三におけるルター受容―特に第一回の「回心」を中心として | 清水 望 |
63 | 第 8号 | 1977年04月 | シーリーのアマスト・カレッジと内村鑑三 | 大山綱夫 |
64 | 第 8号 | 1977年04月 | 「内村鑑三不敬事件」と井上哲次郎 | 斎藤 昭 |
65 | 第 8号 | 1977年04月 | 松村介石一内村鑑三との関連において | 大内三郎 |
66 | 第 8号 | 1977年04月 | 内村鑑三の弟子と軍人伝道 | 峯崎康忠 |
67 | 第 8号 | 1977年04月 | 小原 信著『評伝内村鑑三』 | 三浦永光 |
68 | 第 8号 | 1977年04月 | 内村の師シーリーの人と思想(3) | 千葉 眞(訳) 中沢洽樹(編) |
69 | 第 8号 | 1977年04月 | 説教二篇・新入生への助言 | 千葉 眞(訳) |
70 | 第 8号 | 1977年04月 | 「若き内村鑑三」補遺 | 中沢洽樹(編) |
71 | 第 9号 | 1977年10月 | 事実の信仰(中)―内村鑑三の根底にあるもの | 原島 正 |
72 | 第 9号 | 1977年10月 | 「内村鑑三不敬事件」誹講の論理―島地黙雷・川合清丸の場合 | 斎藤 昭 |
73 | 第 9号 | 1977年10月 | 植村正久と内村鑑三―「アメリカ体験」の問題 | 田代和久 |
74 | 第 9号 | 1977年10月 | 考証 アマストの内村鑑三 | 大山綱夫 |
75 | 第 9号 | 1977年10月 | 山岸壬五・トヨ宛内村書簡について | 鈴木範久 |
76 | 第 9号 | 1977年10月 | 石原日記―1930年4月7日-9月23日 | 石原兵永 |
77 | 第 9号 | 1977年10月 | 亀井俊介著『内村鑑三』 | 三浦安子 |
78 | 第 9号 | 1977年10月 | 畔上道雄著『人問内村鑑三の探求―聖と俗と狂気の間で―』 | 渡辺 信 |
79 | 第10号 | 1978年04月 | 『内村鑑三研究』が第十号に達したに際しての所感 | 鈴木俊郎 |
80 | 第10号 | 1978年04月 | 内村鑑三の再臨信仰―『内村鑑三研究』第十号に寄せて | 高橋三郎 |
81 | 第10号 | 1978年04月 | 『内村鑑三研究』をふりかえって | 佐藤全弘 |
82 | 第10号 | 1978年04月 | 『内村鑑三研究』第十号発行に寄せて | 大川四郎 |
83 | 第10号 | 1978年04月 | 内村鑑三におけるルター受容―とくに第二回の回心を中心として | 清水 望 |
84 | 第10号 | 1978年04月 | 再臨と聖霊―再臨運動期と大手町時代の内村の集会論 | 澁谷 浩 |
85 | 第10号 | 1978年04月 | 内村鑑三と日本仏教 | 成沢 光 |
86 | 第10号 | 1978年04月 | 考証 ハートフォードの内村鑑三 | 大山綱夫 |
87 | 第10号 | 1978年04月 | 内村鑑三研究の方法について | 鈴木範久 |
88 | 第10号 | 1978年04月 | 内村研究をめぐって | 石原兵永 鈴木俊郎 中沢洽樹他 |
89 | 第10号 | 1978年04月 | 『内村鑑三研究』1-5号合評会記録 | 編集部 |
90 | 第10号 | 1978年04月 | 太田雄三著『内村鑑三』 | 安藤 弘 |
91 | 第10号 | 1978年04月 | 政池仁著『内村鑑三伝』 | 澁谷 浩 |
92 | 第10号 | 1978年04月 | 柏木教友会の成立について | 編集部 |
93 | 第10号 | 1978年04月 | 内村の師シーリーの人と思想(4) | 矢野恭弘(訳) |
94 | 第10号 | 1978年04月 | 「われらの父なる神の国」(1890年卒業式説教) | 矢野恭弘(訳) |
95 | 第11号 | 1978年10月 | 内村鑑三と現代 | 中村勝己 |
96 | 第11号 | 1978年10月 | 十字架教と聖書注解(1) | 泉 治典 |
97 | 第11号 | 1978年10月 | 霊か形か―晩年の内村の集会論 | 澁谷 浩 |
98 | 第11号 | 1978年10月 | 内村鑑三における神と天然 | 鵜沼裕子 |
99 | 第11号 | 1978年10月 | 内村鑑三不敬事件資料―三浦徹手記から | 工藤英一 |
100 | 第11号 | 1978年10月 | スカッダー書簡に見る北越学館事件(上) | 本井康博 |
101 | 第11号 | 1978年10月 | 内村の師シーリーの人と思想(5) | 大西直樹(訳) 矢沢英一(訳) |
102 | 第11号 | 1978年10月 | 進化仮説に対する一批判 | 大西直樹(訳) |
103 | 第11号 | 1978年10月 | キリストの復活と宣教の正しさ | 矢沢英一(訳) |
104 | 第11号 | 1978年10月 | 補訂ノート「内村鑑三と日本仏教」について | 成沢 光 |
105 | 第11号 | 1978年10月 | 第一回内村鑑三研究会報告 | 澁谷 浩 |
106 | 第12号 | 1979年04月 | 十字架教と聖書注解(2) | 泉 治典 |
107 | 第12号 | 1979年04月 | 内村鑑三と日本の宗教伝統―日蓮について | 鈴木範久 |
108 | 第12号 | 1979年04月 | 内村鑑三の哲学観 | 佐藤全弘 |
109 | 第12号 | 1979年04月 | スカッダー書簡に見る北越学館事件(下) | 本井康博 |
110 | 第12号 | 1979年04月 | 内村の師シーリーの人と思想(6) | 大西直樹(訳) 高木謙次 |
111 | 第12号 | 1979年04月 | 進化仮説に対する一批判(続き) | 大西直樹(訳) |
112 | 第12号 | 1979年04月 | 「東京独立雑誌」廃刊をめぐって | 高木謙次 |
113 | 第13号 | 1979年10月 | 内村鑑三と横井時雄 | 大内三郎 |
114 | 第13号 | 1979年10月 | 自然科学者としての内村鑑三 | 大島智夫 |
115 | 第13号 | 1979年10月 | 内村鑑三と慈善事業 | 遠藤興一 |
116 | 第13号 | 1979年10月 | 植村正久と内村鑑三―明治20年代のトーマス・カーライルをめぐって | 田代和久 |
117 | 第13号 | 1979年10月 | 内村書簡「筑波山麓における内村鑑三」(書簡2通) | 澁谷 浩(解説) |
118 | 第13号 | 1979年10月 | 内村の師シーリーの人と思想(7) | 田村光三(訳) |
119 | 第13号 | 1979年10月 | 学長就任演説「学問と宗教の関係」(1) | 田村光三(訳) |
120 | 第13号 | 1979年10月 | クラークとその弟子たちの書簡(1) | 大西直樹(訳) |
121 | 第13号 | 1979年10月 | 海保竹松書簡 | 高木謙次(解説) |
122 | 第13号 | 1979年10月 | 第二回内村鑑三研究会報告 | 田村光三 |
123 | 第14号 | 1980年04月 | 不敬事件の中の内村鑑三 | 安藤 弘 |
124 | 第14号 | 1980年04月 | 内村鑑三の無教会主義における「二つのJ」 | 澁谷 浩 |
125 | 第14号 | 1980年04月 | 「救済史」と「世界史」の接点 | 原島 正 |
126 | 第14号 | 1980年04月 | 十字架教と聖書注解(3) | 泉 治典 |
127 | 第14号 | 1980年04月 | M・C・ハリス夫妻と内村鑑三 | 中沢洽樹 |
128 | 第14号 | 1980年04月 | 「大文学論」の反響 | 鈴木範久 |
129 | 第14号 | 1980年04月 | 太田雄三著『クラークの一年』 | 田村光三 |
130 | 第14号 | 1980年04月 | クラークとその弟子たちの書簡(2) | 大西直樹(訳) |
131 | 第15号 | 1980年10月 | 内村鑑三における寛容と非寛容 | 小原 信 |
132 | 第15号 | 1980年10月 | 「日本法律の許す限り・・・」―『東京独立雑誌』創刊のころ | 道家弘一郎 |
133 | 第15号 | 1980年10月 | 内村鑑三と米国大統領たち | 山本俊樹 |
134 | 第15号 | 1980年10月 | 内村鑑三の無教会主義と中華文化 | 呉 得榮 |
135 | 第15号 | 1980年10月 | Christianity: The Japanese Way. By Carlo Caldarola. | 高橋由典 |
136 | 第15号 | 1980年10月 | 柏木兄弟団―中田信蔵『教友』より | 高木謙次(解説) |
137 | 第15号 | 1980年10月 | クラークとその弟子たちの書簡(3) | 大西直樹(訳) |
138 | 第15号 | 1980年10月 | 第三回内村鑑三研究会報告 | 泉 治典 |
139 | 第16号 | 1981年04月 | 正宗白鳥の内村鑑三論について | 菊田義孝 |
140 | 第16号 | 1981年04月 | 無教会の歴史と問題点―無教会シンポジウム発題による | 中沢洽樹 |
141 | 第16号 | 1981年04月 | 内村鑑三と加藤勝弥―北越学館事件をめぐって | 本井康博 |
142 | 第16号 | 1981年04月 | 内村鑑三と中田信蔵 | 高木謙次 |
143 | 第16号 | 1981年04月 | 中村勝己著『内村鑑三と矢内原忠雄』 | 澁谷 浩 |
144 | 第16号 | 1981年04月 | 鈴木範久著『内村鑑三をめぐる作家たち』 | 土肥昭夫 |
145 | 第16号 | 1981年04月 | クラークとその弟子たちの書簡(4) | 大西直樹(訳) |
146 | 第16号 | 1981年04月 | 『理想団主意書』―黒岩涙香関係 | 高木謙次(解説) |
147 | 第17号 | 1981年10月 | 「国家と家庭と個人」―内村の社会改革思想について | 澁谷 浩 |
148 | 第17号 | 1981年10月 | 『ガリラヤの道』『十字架の道』―内村鑑三の福音書研究 | 泉 治典 |
149 | 第17号 | 1981年10月 | 内村鑑三と中田信蔵(2) | 高木謙次 |
150 | 第17号 | 1981年10月 | クラークとその弟子たちの書簡(5) | 大西直樹(訳) |
151 | 第17号 | 1981年10月 | 内村鑑三の臨終記録―斉藤宗次郎筆記『内村鑑三先生の足跡』より | 田村光三 |
152 | 第17号 | 1981年10月 | 第四回内村鑑三研究会報告 | 田村光三 |
153 | 第18号 | 1982年04月 | 『ガラリヤの道』『十字架の道』(つづき)―内村鑑三の福音書研究 | 泉 治典 |
154 | 第18号 | 1982年04月 | 内村鑑三における「天然」 | 小原 信 |
155 | 第18号 | 1982年04月 | 内村鑑三の四つの「宣言」と個人主義に関する試論 | ジャン・F・ハウズ |
156 | 第18号 | 1982年04月 | 内村鑑三と無教会キリスト教 | カルロ・カルダローラ |
157 | 第18号 | 1982年04月 | 山上の人―中村有楽氏の生涯とその周辺 | 野口存彌 |
158 | 第18号 | 1982年04月 | クラークとその弟子たちの書簡(補遺) | 大西直樹(訳) |
159 | 第19号 | 1983年04月 | 明治初年の文明・歴史観の展望―内村鑑三の史論・文明論考察序説 | 秀村欣二 |
160 | 第19号 | 1983年04月 | 内村鑑三と排日問題 | 澁谷 浩 |
161 | 第19号 | 1983年04月 | 内村鑑三と宮部金吾 | 高橋三郎 |
162 | 第19号 | 1983年04月 | 内村鑑三における愛国思想と韓国キリスト教 | 沢 繧 |
163 | 第19号 | 1983年04月 | 内村鑑三と中田信蔵(3) | 高木謙次 |
164 | 第19号 | 1983年04月 | 武田友寿著『内村鑑三・青春の原像』 | 菊田義孝 |
165 | 第19号 | 1983年04月 | 北越学館事件をめぐる五つの英文資料 | 本井康博(訳) |
166 | 第19号 | 1983年04月 | クラークとその弟子たちの書簡(補遺・つづき) | 大西直樹(訳) |
167 | 第20号 | 1983年10月 | イエスの死の意味―内村鑑三とゲルハルト・フリートリヒの場合 | 荒井 献 |
168 | 第20号 | 1983年10月 | 「不敬事件の中の内村鑑三」以後 | 安藤 弘 |
169 | 第20号 | 1983年10月 | 内村鑑三とクエーカー | 佐藤全弘 |
170 | 第20号 | 1983年10月 | 内村鑑三とミルトン | 新井 明 |
171 | 第20号 | 1983年10月 | 『内村鑑三研究』誌二十号を顧みて | 泉 治典 |
172 | 第20号 | 1983年10月 | 東京聖書研究会々員名簿 | 高木謙次(解説) |
173 | 第20号 | 1983年10月 | クラークの日本に関する講演 | 大西直樹(訳) |
174 | 第21号 | 1984年04月 | 若き内村の罪意識―その書簡を中心に | 澁谷 浩 |
175 | 第21号 | 1984年04月 | 教会ならざる教会への道―内村鑑三と札幌独立キリスト教会 | 大友 浩 |
176 | 第21号 | 1984年04月 | 「信仰と樹木とをもって国を救いし話」―内村鑑三と宮沢賢治 | 安藤 弘 |
177 | 第21号 | 1984年04月 | キリスト教と民族意識―S・R・B・アトー・アフマと内村鑑三に関する事例研究 | E・O・アドゥ 森本栄二(訳) |
178 | 第21号 | 1984年04月 | 内村鑑三主筆『聖書之研究』購読者名簿 | 高木謙次 |
179 | 第21号 | 1984年04月 | 水戸三子『内村鑑三―その教育哲学的考察―』 | 鈴木範久 |
180 | 第22号 | 1985年04月 | 信仰に立つ批評精神―内村鑑三と新渡戸稲造 | 佐藤全弘 |
181 | 第22号 | 1985年04月 | 内村鑑三とその娘たち | 小原 信 |
182 | 第22号 | 1985年04月 | 内村鑑三と今井館 | 高木謙次 |
183 | 第22号 | 1985年04月 | 柏木教友名簿 | 高木謙次 |
184 | 第22号 | 1985年04月 | 『教友』2号 | 高木謙次 |
185 | 第22号 | 1985年04月 | 斉藤宗次郎「今井館聖書講堂に関する報告」 | 高木謙次 |
186 | 第22号 | 1985年04月 | 内村以後の教会対無教会の論争・批判・対談 | 泉 治典 |
187 | 第22号 | 1985年04月 | 吉馴明子『海老名弾正の政治思想』 | 澁谷 浩 |
188 | 第22号 | 1985年04月 | 鈴木範久『内村鑑三』 | 千葉 眞 |
189 | 第22号 | 1985年04月 | 鈴木範久編『内村鑑三談話』 | 仲田達男 |
190 | 第22号 | 1985年04月 | 第七回内村鑑三研究会報告 | 澁谷 浩 |
191 | 第23号 | 1986年05月 | 日本のキリスト教会―その構造と特質 | 大濱徹也 |
192 | 第23号 | 1986年05月 | 内村鑑三と『太平記』 | 藤田 豊 |
193 | 第23号 | 1986年05月 | 内村鑑三の文学観 | 金 英雄 |
194 | 第23号 | 1986年05月 | 内村鑑三と樋口てう | 矢沢英一 |
195 | 第23号 | 1986年05月 | 沖野岩三郎と内村鑑三 | 野口存彌 |
196 | 第23号 | 1986年05月 | 内村鑑三と理想団運動 | 高木謙次 |
197 | 第23号 | 1986年05月 | 理想団―黒岩涙香関係 | |
198 | 第23号 | 1986年05月 | 内村美代子『晩年の父内村鑑三』 | 菊田義孝 |
199 | 第23号 | 1986年05月 | E・O・アドゥ氏からの便り | 矢沢英一(訳) |
200 | 第23号 | 1986年05月 | 第八回内村鑑三研究会報告 | 石倉啓一 |
201 | 第24号 | 1987年03月 | 内村鑑三の市民宗教 | 澁谷 浩 |
202 | 第24号 | 1987年03月 | 内村鑑三の国家論 | 長谷部弘 |
203 | 第24号 | 1987年03月 | 内村鑑三と理想団運動(2) | 高木謙次 |
204 | 第24号 | 1987年03月 | 『後世への最大遺物』再考 | 大内三郎 |
205 | 第24号 | 1987年03月 | 『恩師言』をめぐる思い出 | 内村美代子 |
206 | 第24号 | 1987年03月 | ブルックスの演説草稿「クラークの思い出」 | 大西直樹(訳) |
207 | 第24号 | 1987年03月 | 理想団関係資料 | 高木謙次 |
208 | 第24号 | 1987年03月 | 鈴木俊郎『内村鑑三伝 米国留学まで』 | 澁谷 浩 |
209 | 第24号 | 1987年03月 | Hannelore Kimura-Andres: Mukyokai | 泉 治典 |
210 | 第25号 | 1988年02月 | 内村鑑三における無教会の論理 | 量 義治 |
211 | 第25号 | 1988年02月 | 内村鑑三における再臨信仰 | 柴田文明 |
212 | 第25号 | 1988年02月 | 金教臣の祖国とキリスト教信仰 | 井下秀貴 |
213 | 第25号 | 1988年02月 | 内村鑑三の骨肉と宮城県 | 佐藤 成 |
214 | 第25号 | 1988年02月 | 内村鑑三と理想団運動(3) | 高木謙次 |
215 | 第25号 | 1988年02月 | 内村鑑三・金教臣・朝鮮関係資料(1) | 丹羽 泉(訳)・梁 賢恵(訳・解説) |
216 | 第25号 | 1988年02月 | 『内村鑑三文献目録』追補目録(31) | 品川 力 |
217 | 第25号 | 1988年02月 | 英文・ブルックスの演説草稿「クラークの思い出」 | 編集部 |
218 | 第26号 | 1988年09月 | 松村介石より見た内村鑑三―『道』誌を通して | 国分真三 |
219 | 第26号 | 1988年09月 | 近代の教育思想のアポリアと内村鑑三 | 北村三子 |
220 | 第26号 | 1988年09月 | 金教臣の思想と「朝鮮産キリスト教」論(その1)―民族と信仰との関係を中心に | 梁 賢恵 |
221 | 第26号 | 1988年09月 | フレンド派日本伝道開始に関する覚え書き―内村と新渡戸を中心として | 戸田徹子 |
222 | 第26号 | 1988年09月 | ジャーナリスト内村鑑三 | 渋沢輝二郎 |
223 | 第26号 | 1988年09月 | 聖書を生きる―内村の聖書的実存 | 秋田 稔 |
224 | 第26号 | 1988年09月 | 内村を読むということ | 小原 信 |
225 | 第26号 | 1988年09月 | サンデースクール・タイムズ Is The Truth Of Our Lord’s Return a practical Matter for To-Day ? (The Sunday School Times) | 田中 力(訳・解説) |
226 | 第26号 | 1988年09月 | 佐藤昌彦・大西直樹・関秀志『クラークの手紙―札幌農学校生徒との往復書簡―』を読む | 大山綱夫 |
227 | 第27号 | 1989年09月 | 内村鑑三の回心の研究 | 矢沢英一 |
228 | 第27号 | 1989年09月 | 内村鑑三―日清・日露の間 | 大山綱夫 |
229 | 第27号 | 1989年09月 | 金教臣の思想と「朝鮮産キリスト教」論(その2)―民族と信仰との関係を中心に | 梁 賢恵 |
230 | 第27号 | 1989年09月 | 内村鑑三・金教臣・朝鮮関係資料(2) | 丹羽 泉(訳)・梁 賢恵(訳・解説) |
231 | 第27号 | 1989年09月 | 『内村鑑三文献目録』追補目録(32) | 品川 力 |
232 | 第27号 | 1989年09月 | 富岡幸一郎著『内村鑑三』 | 菊田義孝 |
233 | 第27号 | 1989年09月 | 鈴木範久著『「代表的日本人」を読む』 | 川田 殖 |
234 | 第27号 | 1989年09月 | 渋谷浩著『近代思想史における内村鑑三』 | 千葉 眞 |
235 | 第28号 | 1991年05月 | 太宰治における内村鑑三の位置 | 田中良彦 |
236 | 第28号 | 1991年05月 | 内村鑑三、塚本虎二、そして現代「イエスの尊厳意識」をめぐって | 高橋照男 |
237 | 第28号 | 1991年05月 | 「金教臣の」思想と「朝鮮産キリスト教」論(その3)―民族と信仰との関係を中心に | 梁 賢恵 |
238 | 第28号 | 1991年05月 | 無教会主義の継承『聖書之研究』誌上における内村と塚本の場合 | 澁谷 浩 |
239 | 第28号 | 1991年05月 | 『内村鑑三』補記―鑑三・ラスキン・小林 | 新保祐司 |
240 | 第28号 | 1991年05月 | 「内村の市民宗教」再説 | 澁谷 浩 |
241 | 第28号 | 1991年05月 | 内村鑑三と父・照井真臣乳 | 照井謹二郎 |
242 | 第28号 | 1991年05月 | 内村鑑三における「この世」と「神の国」キリスト論的観点を中心として | 加藤英治 |
243 | 第28号 | 1991年05月 | 『内村鑑三研究文献目録』追補目録(33) | 品川 力 |
244 | 第29号 | 1992年09月 | 内村鑑三と朝鮮 | 森山浩二 |
245 | 第29号 | 1992年09月 | 二つの三位一体 | 佐藤全弘 |
246 | 第29号 | 1992年09月 | 内村鑑三の「二つのJ」における「日本」 | アグネシカ・コズイラ |
247 | 第29号 | 1992年09月 | 内村鑑三における「宗教的寛容」について | 鵜沼裕子 |
248 | 第29号 | 1992年09月 | 内村鑑三とジャン・カルヴァン―民族の聖書を目指して | 大友 浩 |
249 | 第29号 | 1992年09月 | 内村鑑三と柏木義円 | 武田清子 |
250 | 第29号 | 1992年09月 | 「『教友』の性質について」・「教友会第二回報告」・『教友』第1号 | 高木謙次(解説) |
251 | 第30号 | 1994年10月 | 私の内村鑑三研究について―「内と外」を中心に | 原島 正 |
252 | 第30号 | 1994年10月 | 内村鑑三とガンディ | 田中 収 |
253 | 第30号 | 1994年10月 | 中村敬宇と内村鑑三 | 小泉 仰 |
254 | 第30号 | 1994年10月 | 内村鑑三の自然観とエコロジー | 千葉 眞 |
255 | 第30号 | 1994年10月 | 異教徒の福音―神学的絶対主義と無原則な相対主義を超えて | 大友 浩 |
256 | 第30号 | 1994年10月 | 柏木教友会の成立前後 | 澁谷 浩 |
257 | 第30号 | 1994年10月 | 内村鑑三の天災観 | 大泉香乃 |
258 | 第30号 | 1994年10月 | 「ザ・ジャパン・クリスチャン・インテリジェンサー」について | 鈴木 建 |
259 | 第30号 | 1994年10月 | 内田芳明著『現代に生きる内村鑑三』 | 細谷 孝 |
260 | 第31号 | 1995年11月 | 内村鑑三とともに四十四年 | ジャン・F・ハウズ |
261 | 第31号 | 1995年11月 | 内村鑑三の霊性 | 武藤陽一 |
262 | 第31号 | 1995年11月 | 内村研究における三つのクルックス | 中沢洽樹 |
263 | 第31号 | 1995年11月 | ヨハネ伝に拠り余は無教会主義を唱うるに難くない | 高橋照男 |
264 | 第31号 | 1995年11月 | 内村鑑三を師とする星野鉄男 | 星野達男 |
265 | 第31号 | 1995年11月 | 内村鑑三『万朝報』英文欄に対する英字新聞側の資料 | 中村博武 |
266 | 第31号 | 1995年11月 | 東洋英和学校における内村鑑三 | 川崎 司 |
267 | 第31号 | 1995年11月 | 「内村鑑三研究」の現在 | 田村光三 |
268 | 第32号 | 1997年10月 | 内村鑑三に見る「普遍学」の展望 | 佐藤全弘 |
269 | 第32号 | 1997年10月 | 父親としての内村鑑三 | 矢沢英一 |
270 | 第32号 | 1997年10月 | 内村鑑三と今井樟太郎夫妻―今井館の由来とその現在 | 津上毅一 |
271 | 第32号 | 1997年10月 | 金教臣の無教会思想―キリスト者の共同体をめぐって | 金 英男 |
272 | 第32号 | 1997年10月 | 武田清子著『峻烈なる洞察と寛容一内村鑑三をめぐって』 | 千葉 眞 |
273 | 第32号 | 1997年10月 | 堀孝彦・梶原寿編『「内村鑑三」と出合って』 | 田村光三 |
274 | 第32号 | 1997年10月 | 田中収著『内村鑑三とその継承者達』 | 高木謙次 |
275 | 第32号 | 1997年10月 | 鈴木範久著『内村鑑三日録』(9・10) | 泉 治典 |
276 | 第32号 | 1997年10月 | 内村鑑三のレリーフ | 田村光三 |
277 | 第33号 | 1998年12月 | 大正デモクラシーと内村鑑三―吉野作造と内村鑑三 | 田中 収 |
278 | 第33号 | 1998年12月 | 日本とオランダにおける無教会主義―内村鑑三とガレヌス・アブラハムシュ | アグネシカ・コズイラ |
279 | 第33号 | 1998年12月 | 内村鑑三と聖書 | ミッシェル・ラフェイ |
280 | 第33号 | 1998年12月 | 国家神道体制下における普遍宗教―内村鑑三の場合 | 伊東正悟 |
281 | 第33号 | 1998年12月 | 三浦 博著 The Life and Thought of Kanzo Uchimura | 澁谷 浩 |
282 | 第33号 | 1998年12月 | 新保祐司著『正統の垂直線―透谷・鑑三・近代』 | 高木謙次 |
283 | 第33号 | 1998年12月 | 鈴木範久著『内村鑑三日録 1861~1888 青年の旅』 | 泉 治典 |
284 | 第33号 | 1998年12月 | 『内村鑑三研究』誌の歩み | 矢沢英一 |
285 | 第34号 | 1999年12月 | 多面体としての内村鑑三 | 小原 信 |
286 | 第34号 | 1999年12月 | テーマとしての「国家と宗教」―南原繁の場合を中心として | 柳父圀近 |
287 | 第34号 | 1999年12月 | 内村鑑三の回心過程とその本質 | 徳田幸雄 |
288 | 第34号 | 1999年12月 | 植村正久と内村鑑三 | 佐藤敏夫 |
289 | 第34号 | 1999年12月 | 内村鑑三とラスキン―楽園労働の回復 | 高橋照男 |
290 | 第34号 | 1999年12月 | 鈴木範久『内村鑑三日録12』 | 泉 治典 |
291 | 第34号 | 1999年12月 | 恒益俊雄『内村鑑三と留岡幸助』 | 高木謙次 |
292 | 第35号 | 2001年03月 | 内村鑑三と天文学―宇宙をのぞく愛星家 | 椚山義次 |
293 | 第35号 | 2001年03月 | ドイツと内村鑑三 | ゾンターク・ミラ |
294 | 第35号 | 2001年03月 | 内村鑑三とグンデルト | 矢沢英一 |
295 | 第35号 | 2001年03月 | 内村鑑三と山口菊次郎 | 高木謙次 |
296 | 第35号 | 2001年03月 | 八木重吉と内村鑑三・鈴木俊郎 | 今高義也 |
297 | 第35号 | 2001年03月 | 中沢沿樹の内村鑑三論―『中沢治樹選集』第三巻 『内村鑑三の真理の証人』を中心として | 藤田 豊 |
298 | 第35号 | 2001年03月 | 「イエスのための日本」 W・グンデルト | 倉石 満(訳)・矢沢英一(解説) |
299 | 第35号 | 2001年03月 | 「日本からの報告」(1〔?〕、3、4、5) Th・マン、W・グンデルト | 倉石 満(訳)・矢沢英一(解説) |
300 | 第36号 | 2002年12月 | 近代日本のキリスト教信仰の一典型(1)―内村鑑三の贖罪信仰と宇宙神論 | 李 慶愛 |
301 | 第36号 | 2002年12月 | 無教会とキリスト同信会―内村鑑三 黒崎幸吉 矢内原忠雄 藤田豊 内村鑑三をめぐる日米比較文学―米国詩人と日本近代作家の媒介者として | 田中浩司 |
302 | 第36号 | 2002年12月 | 歴史と自然の中に生きる | 大山綱夫 |
303 | 第36号 | 2002年12月 | 「余は如何にして無教会基督信徒となりし乎」 | 木村ハンネローレ |
304 | 第36号 | 2002年12月 | 内村鑑三と吉田源治郎 | 高木謙次 |
305 | 第36号 | 2002年12月 | 内村の井口宛未発表書簡について | 田中 清 |
306 | 第36号 | 2002年12月 | グンデルト先生との一期一会 | 石井誠士・矢沢英一(解説) |
307 | 第37号 | 2004年03月 | 「内村鑑三の集会論」再考 | 澁谷 浩 |
308 | 第37号 | 2004年03月 | 内村鑑三の「ユダヤ人観」 | 原島 正 |
309 | 第37号 | 2004年03月 | 近代日本のキリスト教信仰の一典型(2)―内村鑑三の贖罪論と再臨思想 | 李 慶愛 |
310 | 第37号 | 2004年03月 | 内村鑑三とジュリアス・H・シーリー | 根本 泉 |
311 | 第37号 | 2004年03月 | 『鑑三先生の星道楽』礼賛―星が道楽になれば聖書研究は安全だ | 椚山義次 |
312 | 第37号 | 2004年03月 | 内村鑑三の進化論をめぐっての研究 | 武富 保 |
313 | 第37号 | 2004年03月 | 内村鑑三の進化論三部作 | 武富 保 |
314 | 第37号 | 2004年03月 | 李慶愛著『内村鑑三のキリスト教思想』 | 千葉 恵 |
315 | 第37号 | 2004年03月 | 山口哲典編者『内村鑑三と原瀬半治郎』 | 高木謙次 |
316 | 第37号 | 2004年03月 | 内村鑑三関係文献一紹介と書評 | 高木謙次 |
317 | 第38号 | 2005年08月 | 内村鑑三における武士道―古屋安雄教授に答える | 澁谷 浩 |
318 | 第38号 | 2005年08月 | 結社の人―内村鑑三 | 梅津順一 |
319 | 第38号 | 2005年08月 | 内村鑑三と神道(1) | 田中 収 |
320 | 第38号 | 2005年08月 | キリスト再臨運動―近代日本における合理性と救済をめぐる言説 | ゾンターク・ミラ |
321 | 第38号 | 2005年08月 | 内村鑑三に学ぶ異文化コミュニケーション | 田中浩司 |
322 | 第38号 | 2005年08月 | 内村鑑三と宍戸元平―『聖書之研究』誌との関わりを中心に | 冨樫 徹 |
323 | 第38号 | 2005年08月 | 内村鑑三の自然観と社会 | 小林 裕 |
324 | 第38号 | 2005年08月 | 「内村鑑三の星学」考―日々の生涯とその周辺 | 椚山義次 |
325 | 第38号 | 2005年08月 | 変わるアマスト―二十八年ぶりの再訪 | 大山綱夫 |
326 | 第38号 | 2005年08月 | 宮田光雄『権威と服従―近代日本におけるローマ書十三章』 | 高木謙次 |
327 | 第39号 | 2006年08月 | W・S・クラークの評価を巡って | 大山綱夫 |
328 | 第39号 | 2006年08月 | 若き内村鑑三の人間形成の研究 | 矢沢英一 |
329 | 第39号 | 2006年08月 | 内村鑑三における直接性 | 八木誠一 |
330 | 第39号 | 2006年08月 | 内村鑑三とカント | 伏原理夫 |
331 | 第39号 | 2006年08月 | 内村鑑三と神道(2) | 田中 収 |
332 | 第39号 | 2006年08月 | 内村鑑三と越後の教友会 | 押見正幸 |
333 | 第39号 | 2006年08月 | 『我等は四人である』をめぐって―ワーズワース WE ARE SEVEN との対比を中心に | 今高義也 |
334 | 第39号 | 2006年08月 | アーモストの樹木 | 武富 保 |
335 | 第39号 | 2006年08月 | 斎藤宗次郎『二荊自叙伝』(上・下) | 澁谷 浩 |
336 | 第39号 | 2006年08月 | 富岡幸一郎『非戦論』 | 泉 治典 |
337 | 第39号 | 2006年08月 | 山城俊昭 英訳・内村鑑三『後世への最大遺物』 | 田村光三 |
338 | 第40号 | 2007年08月 | 内村鑑三の無教会主義―その聖書解釈にそくして | 泉 治典 |
339 | 第40号 | 2007年08月 | 『基督信徒の慰』における基督以外の慰―「世界人(Weltmann)」という引用のモザイク | 田中浩司 |
340 | 第40号 | 2007年08月 | 内村鑑三と日本の伝統思想―内村に見るプロテスタントと真宗の交流 | 川端伸典 |
341 | 第40号 | 2007年08月 | 内村鑑三と鈴木弼美―その信仰的系譜 | 冨樫 徹 |
342 | 第40号 | 2007年08月 | 非戦論と天皇制問題をめぐる一試論―戦時下無教会陣営の対応 | 千葉 眞 |
343 | 第40号 | 2007年08月 | 内村鑑三研究と中沢沿樹 | 高木謙次 |
344 | 第40号 | 2007年08月 | ウィルヘルム・グンデルト「日本からの報告」第六巻 | 倉石 満(訳) |
345 | 第40号 | 2007年08月 | ジョン・F・ハウズ著『近代日本の預言者内村鑑三』 | 澁谷 浩 |
346 | 第40号 | 2007年08月 | 高木謙次選集 第一巻『内村鑑三とその周辺』 | 冨樫 徹 |
347 | 第40号 | 2007年08月 | 『内村鑑三研究』1-40号 総目次・著者別索引 | 編集部 |
348 | 第41号 | 2008年05月 | 内村鑑三研究会 第三〇回記念シンポジウム「内村鑑三研究の現在と展望」 | 大山綱夫 原島 正 他 |
349 | 第41号 | 2008年05月 | 報告Ⅰ 内村の伝記的研究の問題点 | 大山綱夫 |
350 | 第41号 | 2008年05月 | 報告Ⅱ 内村の宗教思想についての研究を巡って | 原島 正 |
351 | 第41号 | 2008年05月 | 報告Ⅲ 内村の集会論を巡って | 澁谷 浩 |
352 | 第41号 | 2008年05月 | 総括的なコメント | 鵜沼裕子 |
353 | 第41号 | 2008年05月 | 質疑応答 | 大田 修 |
354 | 第41号 | 2008年05月 | 倉橋惣三・子供への賛歌 | 野口存彌 |
355 | 第41号 | 2008年05月 | 青山士の生涯・その一生を貫くもの | 大西洋司 |
356 | 第41号 | 2008年05月 | 涙―大地に生きる思い | 大濱徹也 |
357 | 第41号 | 2008年05月 | 内村鑑三の中国観 | 高木謙次 |
358 | 第41号 | 2008年05月 | 斉藤宋次郎『二荊自叙伝』を巡って | 児玉佳與子 |
359 | 第41号 | 2008年05月 | 内村鑑三書簡(田中千代子宛) | 千葉 眞 |
360 | 第41号 | 2008年05月 | 江端公典『内村鑑三とその系譜』 | 千葉 眞 |
361 | 第42号 | 2009年04月 | 創世記から黙示録までを一眸の内に見る | 泉 治典 |
362 | 第42号 | 2009年04月 | 内村鑑三の聖書解釈―ヤイロの娘の復活― | 大田 修 |
363 | 第42号 | 2009年04月 | 内村鑑三における祈りの問題 | 岩野祐介 |
364 | 第42号 | 2009年04月 | 『ロマ書の研究』における新しい人間観の提出―倫理道徳との関わりに留意して― | 柴田真希都 |
365 | 第42号 | 2009年04月 | 古代ハスの大賀一郎と内村鑑三 | 矢沢英一 |
366 | 第42号 | 2009年04月 | 「然らば我は何なるか」という問いへの応答―今井館開館百周年記念講演― | 秋吉和史 |
367 | 第42号 | 2009年04月 | 内村鑑三書簡(海保栄子宛) | 高木謙次 |
368 | 第42号 | 2009年04月 | 井口喜源治および安筑独立苦楽部員宛ての内村鑑三の未発表の書簡について | 武富 保 |
369 | 第42号 | 2009年04月 | 斉藤宋次郎「一日一地点」(未出版、全三巻、1952年) | 児玉佳與子 |
370 | 第42号 | 2009年04月 | 一女学生から見た内村鑑三―陶山節子談話より― | 今高義也 |
371 | 第42号 | 2009年04月 | 内村鑑三研究文献(2005~2008) | 高木謙次 |
372 | 第42号 | 2009年04月 | 書誌学者・品川力追悼 | 高木謙次 |
373 | 第43号 | 2010年04月 | 内村鑑三と非戦論 | 吉馴明子 |
374 | 第43号 | 2010年04月 | 内村鑑三の福音書釈義に見られる女性観 | 絹川久子 |
375 | 第43号 | 2010年04月 | 生命のふしぎなる理性―中田重治、内村鑑三と木村清松の再臨運動― | ゾンターク・ミラ |
376 | 第43号 | 2010年04月 | 内村鑑三と古今和歌集―旧蔵『古今集遠鏡』に見える書入れを手がかりに― | 今高義也 |
377 | 第43号 | 2010年04月 | 内村鑑三書簡(花沢正二宛) | 高木謙次 |
378 | 第43号 | 2010年04月 | 高木謙次編『内村鑑三の弟子 田中龍夫・梅子 遺文1と回想』 | 原島 正 |
379 | 第44号 | 2011年04月 | 農園としての天然、耕す者としての人間―内村鑑三の農本思想とその社会的背景― | 三浦永光 |
380 | 第44号 | 2011年04月 | 内村鑑三とユニテリアニズム―その関わりと批判― | ミッシェル・ラフェイ |
381 | 第44号 | 2011年04月 | 内村鑑三の「贖罪」観 | 道家弘一郎 |
382 | 第44号 | 2011年04月 | 内村鑑三の生における病体験 | 柴田真希都 |
383 | 第44号 | 2011年04月 | 再臨信仰と内村鑑三のユダヤ観(上)―反ユダヤ主義の文脈の中で― | 森山 徹 |
384 | 第44号 | 2011年04月 | ウィルヘルム・グンデント「日本からの報告」Ⅲ | 倉石 満 |
385 | 第44号 | 2011年04月 | 内村鑑三の著作に学んだ彫刻家荻原守衛(上)―碌山日記『つくまのなべ』から― | 武富 保 |
386 | 第45号 | 2012年04月 | 再臨信仰と内村鑑三のユダヤ観(下)─反ユダヤ主義の文脈の中で─ | 森山 徹 |
387 | 第45号 | 2012年04月 | 内村鑑三と宮澤賢治─『銀河鉄道の夜』と十字架─ | 椚山義次 |
388 | 第45号 | 2012年04月 | 内村鑑三の国家観について─道徳・倫理という角度から─ | 羅 路漫 |
389 | 第45号 | 2012年04月 | ウィルヘルム・グンデルト「日本からの報告」Ⅳ | 倉石 満 |
390 | 第45号 | 2012年04月 | 内村鑑三の著作に学んだ彫刻家荻原守衛(下)―碌山日記『つくまのなべ』から― | 武富 保 |
391 | 第45号 | 2012年04月 | 泉治典兄を悼む | 澁谷 浩 |
392 | 第45号 | 2012年04月 | ミシェル・ラフェイ『なまら内村鑑三なわたし―二つの文化のはざまで―』 | ゾンターク・ミラ |
393 | 第45号 | 2012年04月 | 三浦永光『現代に生きる内村鑑三』 | 田村 光三 |
394 | 第45号 | 2012年04月 | 新保祐司著『内村鑑三 1861-1930』 | 田村 光三 |
395 | 第46号 | 2013年04月 | 内村鑑三の贖罪的終末論の諸相(上) | 千葉 眞 |
396 | 第46号 | 2013年04月 | 「と」に生きた人・内村鑑三─思想史的考察─ | 原島 正 |
397 | 第46号 | 2013年04月 | 金教臣と日本 | 金 正坤 |
398 | 第46号 | 2013年04月 | 内村鑑三の慈善観─石井十次と留岡幸助との関係をめぐって─ | 津崎哲雄 |
399 | 第46号 | 2013年04月 | ヴィルヘルム・グンデルト「日本からの報告」Ⅴ | 倉石 満 |
400 | 第46号 | 2013年04月 | 黒川知文『内村鑑三と再臨運動─救い・終末論・ユダヤ人論』 | ゾンターク・ミラ |
401 | 第46号 | 2013年04月 | 今井館教友会編『神こそわれらの砦』 | 高木謙次 |
402 | 第46号 | 2013年04月 | 鈴木範久『内村鑑三の人と思想』 | 田村光三 |
403 | 第46号 | 2013年04月 | 再臨信仰と内村鑑三のユダヤ人観(上) | 森山 徹 |
404 | 第47号 | 2014年04月 | 内村鑑三の贖罪的終末論の諸相(下) | 千葉 眞 |
405 | 第47号 | 2014年04月 | 咸錫憲と無教会をめぐる宗教思想的な探究 | 梁 賢恵 |
406 | 第47号 | 2014年04月 | 内村鑑三と超党派の思考 | 東島 誠 |
407 | 第47号 | 2014年04月 | 内村鑑三の「再発見」―「にもかかわらず」と「だからこそ」― | 齋藤英里 |
408 | 第47号 | 2014年04月 | 内村鑑三における信仰と「ナショナリズム」―天皇制などをめぐって― | 柳父圀近 |
409 | 第47号 | 2014年04月 | ヴィルヘルム・グンデルト「日本からの報告」Ⅵ | 倉石 満 |
410 | 第47号 | 2014年04月 | 内村鑑三書簡―小平一子宛て― | 高木謙次 |
411 | 第47号 | 2014年04月 | 内村鑑三研究関係著作一覧 | 編集部 |
412 | 第47号 | 2014年04月 | 野上寛次『内村鑑三の周辺―直哉・白鳥・隆正―』 | 編集部 |
413 | 第47号 | 2014年04月 | 宮田光雄『日本キリスト教思想史研究』 | 編集部 |
414 | 第48号 | 2015年04月 | 内村鑑三における「預言者的ナショナリズム」―信仰・明治国家・天皇制― | 柳父圀近 |
415 | 第48号 | 2015年04月 | 内村鑑三と活けるキリスト―「へブル人への手紙13:8」と「ヨハネ黙示録1:8」の解釈を中心に― | 渡部和隆 |
416 | 第48号 | 2015年04月 | 内村鑑三についての二つの疑問―日本人とキリスト教をめぐって― | 近藤勝彦 |
417 | 第48号 | 2015年04月 | 内村鑑三における再臨信仰と民族―ユダヤ人観・日本人観・朝鮮人観の相克― | 役重善洋 |
418 | 第48号 | 2015年04月 | 岩野祐介『無教会としての教会―内村鑑三における「個人・信仰共同体・社会」―』 | 大友 浩 |
419 | 第48号 | 2015年04月 | 赤江達也『「紙上の教会」と日本近代―無教会キリスト教の歴史社会学―』 | 千葉 眞 |
420 | 第48号 | 2015年04月 | Shibuya Hiroshi and Chiba Shin, eds., Living for Jesus and Japan:The Social and Theological Thought of Uchimura Kanzo | 山形正敏 |
421 | 第48号 | 2015年04月 | 澁谷浩先生哀悼 | 千葉 眞 |
422 | 第49号 | 2016年04月 | マルティン・ルターと内村鑑三 | 野々瀬浩司 |
423 | 第49号 | 2016年04月 | 内村鑑三における社会改革の論理と倫理ー明治後半期を中心にー | 柴田真希都 |
424 | 第49号 | 2016年04月 | 南原繁と内村鑑三ー時代を追ってー | 山口周三 |
425 | 第49号 | 2016年04月 | 内村鑑三の再臨運動・再考ー信仰・思想・運動ー | 原島 正 |
426 | 第49号 | 2016年04月 | Darrell Allen, Beyond Pacifism:Determining the Legacy of Uchimura Kanzo | ゾンターク・ミラ |
427 | 第50号 | 2017年04月 | 近代宗教史のなかの内村鑑三 ー 初期の著作の力とその源泉 ー | 島薗 進 |
428 | 第50号 | 2017年04月 | 内村鑑三における「霊の体」 | 岩野祐介 |
429 | 第50号 | 2017年04月 | 宮沢賢治と内村鑑三を結ぶもの | 富永國比古 |
430 | 第50号 | 2017年04月 | 内村鑑三とその弟子たち ー 朝鮮との関わりで ー 金教臣、矢内原忠雄、佐藤司郎 | 森山浩二 |
431 | 第50号 | 2017年04月 | 福音と現世 ー 『日記』から見た内村鑑三 ー | 千葉 眞 |
432 | 第50号 | 2017年04月 | 小林孝吉『内村鑑三 私は一基督者である』 | 倉井香矛哉 |
433 | 第51号 | 2018年04月 | 内村鑑三における「楽園の回復」再考 ー 不敬事件後の危機と再生をめぐって ー | 今高 義也 |
434 | 第51号 | 2018年04月 | 「非戦主義者の戦死」精読と内村鑑三の「犠牲の精神」 | 矢田部千佳子 |
435 | 第51号 | 2018年04月 | 内村鑑三の無教会信仰とその活動の教育史的意義 | 安彦忠彦 |
436 | 第51号 | 2018年04月 | 内村鑑三と天文学 ー 明治・大正期の天文書籍の周辺 ー | 椚山義次 |
437 | 第51号 | 2018年04月 | 柳父圀近『日本的プロテスタンティズムの政治思想 ー 無教会における国家と宗教 ー 』 | 眞壁 仁 |
438 | 第51号 | 2018年04月 | 柴田真希都『明治知識人としての内村鑑三 ー その批判精神と普遍主義の展開 ー 』 | 千葉 眞 |
439 | 第51号 | 2018年04月 | 内村鑑三著 鈴木範久訳『余はいかにしてキリスト信徒となりしか』 | 高木謙次 |
440 | 第51号 | 2018年04月 | 鈴木範久『日本キリスト教史 ー 年表で読む ー 』 | 高木謙次 |
441 | 第51号 | 2018年04月 | 矢澤英一兄哀悼 | 千葉 眞 |
442 | 第52号 | 2019年04月 | 南原繁の「日本的キリスト教」構想 | 村松 晋 |
443 | 第52号 | 2019年04月 | 戦争の時代における無教会運動 ー 塚本虎二と矢内原忠雄 | 黒川知文 |
444 | 第52号 | 2019年04月 | 無教会における「天皇制」観の展開 ー 象徴天皇の「代替わり」に考える | 柳父圀近 |
445 | 第52号 | 2019年04月 | 斉藤宗次郎の『聴講五年』にふれて | 山折哲雄 |
446 | 第52号 | 2019年04月 | 梁賢惠『内村鑑三 ー 神の後ろに隠れなかったクリスチャン』 | 崔 元碩 |
447 | 第52号 | 2019年04月 | 川中子義勝『悲哀の人 矢内原忠雄 歿後五十年を経て改めて読み直す』 | 岩野祐介 |
448 | 第52号 | 2019年04月 | 赤江達也『矢内原忠雄 戦争と知識人の使命』 | 岩野祐介 |
449 | 第52号 | 2019年04月 | 田村光三兄哀悼 | 大山綱雄 |
550 | 第53号 | 2020年04月 | 内村鑑三 戦争論・震災論の現代的射程―拙著の落穂を拾う | 関根清三 |
551 | 第53号 | 2020年04月 | 塚本虎二から考える―平和主義・愛国主義・戦争責任 | 赤江達也 |
552 | 第53号 | 2020年04月 | コメント+応答 | 柳父圀近 千葉真 赤江達也 関根清三 |
553 | 第53号 | 2020年04月 | 関根清三『内村鑑三 その聖書読解と危機の時代』 | 村松晋 |
554 | 第53号 | 2020年04月 | 『高木謙次選集』全六巻 | 原島正 |
555 | 第53号 | 2020年04月 | 内村鑑三―小野英二郎のノートに書かれた渡米時の資料若干 | 小野有五 |
556 | 第53号 | 2020年04月 | 内村鑑三・塚本虎二・山田鉄道書簡等の国際基督教大学への寄贈の経緯 | 藤本悦子 (協力)横田淳 |
557 | 第53号 | 2020年04月 | 鈴木範久先生の『内村鑑三目録』以降の内村鑑三研究―内村鑑三研究における基礎的研究の継承と課題 | 藤田豊 |
558 | 第54号 | 2021年04月 | 内村鑑三と無教会の信仰の型について―ウィリアム・ジェイムズとチャールズ・テイラーを手がかりに | 千葉 真 |
559 | 第54号 | 2021年04月 | 「内村幼年物語」の創出と、その資料に関する一考察 | 催 元碩 |
560 | 第54号 | 2021年04月 | 無教会と京都学派―政治思想史研究の立場から | 柳父 圀近 |
561 | 第54号 | 2021年04月 | 内村静子―内助の生涯 | 高木 謙次 |
562 | 第54号 | 2021年04月 | 若松英輔『内村鑑三 悲しみの使徒』 | 岩野 祐介 |
563 | 第54号 | 2021年04月 | 大山綱夫『余滴 札幌農学校とキリスト教』 | 柴田真希都 |