今井館ウィークデイの集い・2012
女の視点で語る
― 福島原発・養護ホーム・理科教育・塚本訳聖書 ―
この冊子は、今井館・女性の企画グループが主催する「今井館ウィークデイの集い」の記
録をまとめた年刊誌ですが、ここには、高邁な理想のためにともすると足元を見失いがちな
無教会の中で、しっかり地に足を着けて歩んでいる力強い女性たちの足あとが刻まれていま
す。信仰は実践であるということを確信させられます。
また、企画の中には「若者と語る」というシンポジウムもあり、世代を超えて分かり合お
うとする前向きな取り組みもなされています。以前、私も参加させていただいたことがあり
ますが、そのときの大人たちの静かに耳を傾けて下さる姿勢と受容的な優しいまなざしをよ
く覚えています。なぜ、こんなにも若い人を理解しようとして下さるのかと考えたとき、大
人はきっと、人生経験を積んで苦労を体験し人の苦しみも察することができるように大きく
丸く成長したけれども、若いときに持っていた純粋さと情熱と繊細さと鋭さを失ってしまっ
たと感じているのではないかと思いました。開花したら二度とつぼみには戻らないように、
それらを取り戻すことはできないとしても失ったものの大きさを忘れず、私たち大人は、今
の自分は成熟はしたけれども欠けたところもあるということを自覚して謙虚になりたいと心
のどこかで望んでいるのではないでしょうか。憶測にすぎませんが、あのまなざしを思い出すとあながち間違ってもいないように思えます。もし、そうだとすれば、これもひとつの勇
気ある実践だと思います。異質なものを受け入れて自分の欠けを知るというのは、打ち砕か
れた霊を神様に捧げたいという信仰ではないでしょうか。
若者の方は、安全な場所で自分と向き合うという貴重な機会が与えられることになりま
す。自分の信仰のこと、生い立ちのこと、仕事のことなど、あらためて見直し整理して、言
葉にして人に伝えてみるというのはお金を払ってでもやる価値のあることです。私自身、こ
のシンポジウムのお蔭でひとつ自分か見えました。 それは、「謙虚でない自分、謙虚なふり
をしたくない自分、自然に謙虚になるまで待ちたい自分」だったのですが、このときから
はっきりと「私はそうなのだ」と自分を大切に思うことができました。そして今、そのよう
な私に神様は少しずつ、謙虚な方が本来の自分でいられることを、体験を通して教えて下
さっています。胸を借りて話せる場があったからこそ自分を受け留められ、受け留められた
からこそ、次のステップに進めたと感謝しています。是非、続けていただきたい企画です。
最後に欲を言うなら、もっと世代間ギャップのある人材、さすがの大人も目を白黒させて
しまうようなティーンエイジャーにも登場してもらえたら面白くなりそうな気がします。
2013年2月 小舘知子(今井館教友会評議員)